今日の記事:ぽろっと!ニュースにコメント
「戦場から届いた遺書」を読んで今日は自分の出来事から記事を書きます。
昨日部屋を片付けていたら、一冊の文庫本を発見。
辺見じゅんさんの著書、「戦場から届いた遺書」。
そういえば買ったなあ〜この本、と思うくらい前に買って、読まずにすっかり忘れていたんだけど、何気なく中身をぱらぱらめくって読み始めたら。。。
止まらない!!掃除を忘れ―
育児を忘れ―
だんなを忘れ―
(ご飯作りは忘れてなかったよ ^^)
約300ページをイッキ読み!
特攻隊として出征するにあたって書かれた遺書、激戦地から家族に送られた遺書、、遺書のつもりでなくても、故人になって最後の手紙が遺書になってしまった手紙、そしてそれを受け取った遺族の悲しみや憤り。
途中涙がぼろぼろこぼれてきたけど、これは同情とかじゃなくて、
遺書にこめられた思いとか、遺族の思いがひしひしと伝わってきたから。
遺書を書いた人たちの年齢は16歳から45歳までと幅広いんだけど、多くは20代の若者達。
え、これで20歳〜!?
と思うくらい考え方がしっかりして、達筆なのに驚いた。時代が時代なんだけど、今と比べると、恐ろしく「オトナ」を感じる。
「戦場から届いた遺書」で印象に残ったのは、「死」に直面したときの人間。
特攻隊員になった時点で「死」は覚悟していたと思うけど、出征命令が下りるまで、「死」ぬという恐怖との激しく戦い続けている。死は怖くない、死ぬことにおびえる自分は罪だ、みたいな。
いよいよ「死」が逃れられない現実となったとき、「軍神」「日本」「家族の平和」の概念に必死にしがみつき、「死」への恐怖を逃れようとしている。
出征命令が下りるまでの心の経過をみると、この「出征命令」が、「死刑執行」と同じニュアンスを持っているんじゃないかなって感じてきて。ということは戦争って、自国の兵士も、他国の敵も国が殺すってことなんじゃない?!しかも、罪の無い、国民をだよ!
出征命令だけでなく、ガダルカナル島や硫黄島、ニューギニア、など、戦局が悪くなると、国は兵士を置き去りに撤退した。兵士は愛国心を植え付けられ、国のため、天皇のため、そして家族のために必死に戦っているのに、そんなのお構いなしの政策。この本を読んで改めて政府のずさんさ(戦中だけでなく戦後も)に腹がたった。
辺見さんの日本は一つ一つの命が土台となっている、という言葉には、私も共感。日本国憲法こそ、それを具体化しているものだと思う。でも、今の日本、特に政府はそれを忘れているんじゃないかな。
日本国憲法は、国連憲章の後、原爆が落とされた後、に成立しています。ということは、世界中のどこの国よりも平和主義が濃い。それを国際協力だか世界平和だとかで変えようとしている動きがあるけど、ここをもう一度考えて欲しいと思う。日本の平和憲法がなくなってしまったら、どうやって平和を考えていくんだろうね。
で、この本の全体の乾燥だけど、「遺書」をテーマに、戦争について考える、という点でまとまりのある内容だと思う。
辺見さんの編集の仕方も上手だと思うし、あまり目を向けない戦争の事実(台湾人で日本に従軍して亡くなった、ニューギニア、シベリア収容所など)にも触れていて、大変興味深い。
この本の最後の章、ハバロフスク収容所で病死された山本幡男さんの、子供たちに宛てた遺書は、辺見さんじゃないけど、世界平和を築き上げていく上での力強いメッセージとして受け取れる。
人間は戦争の歴史と共に進歩してきたけれど、所詮戦争も人間がつくったもの。だから、戦争をしなくても、戦争に頼らなくてもいいような社会をつくることも、多くの人が望めば可能なことなのかもしれない。
その原点になるのが、戦争を体験した人、戦争によって命を落とした人の声なんだと思う。